2011年 10月 03日
徳野スクールは熱い!!! |
何度聞いても、刺激的です。9月30日、金曜日に夜に開かれたスクールは、私の震災復興私案を取り上げていただきました。
嬉しかったのは、私の私案の裏付け的に、様々な思考を駆使して解説をいただいたことです。例えば「生きる」と「生き続ける」は違う、という話。「生きる」は、生物的な維持(生命原理)であり、当座の食料、医療、衣服、器としての仮設住宅などですが、「生き続ける」ためには、どうしても家族や社会(生活原理)が必要だということです。
確かに、仮設住宅は出来たが、孤独で亡くなる方がでてきて、むしろ集団避難場所の方が良かったという高齢者の意見は、このことを裏付けています。
また、後半の逸脱行為という講義では、経済成長という欲望をどのように止める事ができるか、という話題でした。多分、これまでの成長は、アソシエーション的な方向、これからの定常化社会はコミュニテイの再構築と、明確に方向性が違うのだと思いました。
えびの市では、30の講が存在し、いまだに機能しているという話は興味深いものです。とにかく、集まる、それ以上、それ以下の理由もなく、一緒にいることが最大の目的、これがコミュニテイの大原則ではないか、そんな気がしています。
次回は11月4日(金曜日)です。
嬉しかったのは、私の私案の裏付け的に、様々な思考を駆使して解説をいただいたことです。例えば「生きる」と「生き続ける」は違う、という話。「生きる」は、生物的な維持(生命原理)であり、当座の食料、医療、衣服、器としての仮設住宅などですが、「生き続ける」ためには、どうしても家族や社会(生活原理)が必要だということです。
確かに、仮設住宅は出来たが、孤独で亡くなる方がでてきて、むしろ集団避難場所の方が良かったという高齢者の意見は、このことを裏付けています。
また、後半の逸脱行為という講義では、経済成長という欲望をどのように止める事ができるか、という話題でした。多分、これまでの成長は、アソシエーション的な方向、これからの定常化社会はコミュニテイの再構築と、明確に方向性が違うのだと思いました。
えびの市では、30の講が存在し、いまだに機能しているという話は興味深いものです。とにかく、集まる、それ以上、それ以下の理由もなく、一緒にいることが最大の目的、これがコミュニテイの大原則ではないか、そんな気がしています。
次回は11月4日(金曜日)です。
by kdkessay
| 2011-10-03 11:50