2012年 05月 01日
歴史の重み |
「阿蘇下田熱帯魚研究所、田上四郎」小学校6年生の時に買った「科学」という雑誌の中に紹介されていた記事です。阿蘇下田という住所だけで、手紙を出したのですが、早々に酸素をいれた段ボールにグッピーが送られてきました。「ヒチヒトラレタシ、アソ」の電報文面は今でも覚えています。出水駅まで荷物を取りに行き、まるまると太ったグッピーと対面しました。連休に阿蘇下田を訪れたのですが、田上さんは留守の様でした。
南阿蘇から高千穂へ抜けるのは初めてで、天岩戸、高千穂渓谷を見てきました。
鉄道も、道路も未整備な時代に、この地がどのような信仰の対象地であったのか、思いを馳せると、何か伝統の重さというのか、悠久の時間というのか、そんなものを感じます。「右」も「左」も関係なく、信仰の深さを感じます。
道路を走っただけで、その土地の「民度」はわかる物です。看板や、風景、ちょっとした佇まいから感じられる「何か」です。山の頂まで駆け上る見事な棚田を誰が維持しているのか、これが後、何年維持できるのか?そんな事を感じます。
南阿蘇から高千穂へ抜けるのは初めてで、天岩戸、高千穂渓谷を見てきました。
鉄道も、道路も未整備な時代に、この地がどのような信仰の対象地であったのか、思いを馳せると、何か伝統の重さというのか、悠久の時間というのか、そんなものを感じます。「右」も「左」も関係なく、信仰の深さを感じます。
道路を走っただけで、その土地の「民度」はわかる物です。看板や、風景、ちょっとした佇まいから感じられる「何か」です。山の頂まで駆け上る見事な棚田を誰が維持しているのか、これが後、何年維持できるのか?そんな事を感じます。
by kdkessay
| 2012-05-01 11:06